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宮崎県木城町の魚屋の情報が登録されていません。

広報きじょう 広報きじょう: 日向の新しき村のある、宮崎県木城町の広報誌。在住・在勤の人を紹介する「人間万歳」というコーナーがある(!)。
自然を壊し、景観を破壊した小丸川揚水 自然を壊し、景観を破壊した小丸川揚水 2008-04-23 / 揚水発電所問題 自然環境や景観にも配慮し、その努力が認められ「平成18年度土木学会賞 環境賞」(社団法人土木学会)を受賞したという小丸川揚水(九州電力のいう「小丸川発電所」)だが、造った側の九州電力だけの言い分だけでは、いいことだらけの一方的というものだろう。ここでは、自然保護や景観保護の観点から考えてみたい。 ●稀少動植物の生存基盤の破壊 小丸川揚水が建設された宮崎県木城町石河内は、武者小路実篤が理想郷を求めて「日向新しき村」をおいたところでも知られている。その北東方向には、歌人若山牧水が愛してやまなかった尾鈴山がある。宮崎平野の北方に太平洋に向かって緩やかな傾斜を描いているのが尾鈴山だ。その尾鈴山の西を南下し、太平洋側に回り込むように流れているのが小丸川である。この川は、小丸川揚水開発以前から既に4基のダム(九州電力2基、宮崎県2基)によって寸断されていた。しかし、全国の揚水発電建設地がそうであるように、小丸川揚水建設地もまた、本来の自然を彷彿とさせる環境が残っていた。下部ダム建設地近くではクマタカ
感動する話89・「石井十次」 「石井十次」 明治20年(1887)、岡山から5里ほど東南に離れた上阿知に石井十次という医師として勉強中の青年がいた。 十次が手伝いに行っている診療所の隣にはお大師堂があり、いつも巡礼者や身寄りのない人が寝泊まりしていた。 その年の4月のある朝、いつものように十次が大師堂をのぞいてみると、二人の子供を連れた女性のお遍路さんがいた。話を聞くと、その女性は生活が厳しくて借金も重なり、とても暮らしていけないので仕方なく親子5人で巡礼の旅に出たけれども、途中で主人と一番上の娘を病気で亡くしたという。そして彼に頼みました。 「子供一人であれば、どこかの家に雇われて暮らしていけなくもないけれど、子供が二人もいては嫌がられて雇ってくれません。下の子は体が不自由なので、上の子だけでも預かってくれませんか」 十次は心を痛め、悩んだ末、上の子供を預かることにした。このことがきっかけとなり、十次は周囲の反対を押し切って医学の道よりも親のない子供を救うための道を選ぶ。そうして「岡山孤児院」を開設した。22歳の時であった。 明治24年(1891)10月、中部地方一帯にわたる濃尾
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